西魚津を出た地鉄本線は、JR北陸本線とともに高架上を走るようになります。北陸本線の高架化は複線電化の際に行われましたが、地鉄もこれにあわせて高架化しています。角川を渡ると魚津の旧市街地を眼下に見るようになり、ほどなく高架上の片面ホーム1面1線から成る、電鉄魚津に到着します。富山県内では唯一の高架駅です。
ターミナル駅ではなく側線ひとつないシンプルな構造の中間駅ですが、鉄骨鉄筋コンクリート造り地上4階の立派な駅ビルは、地方中小私鉄としては、まことに立派なものといえます。しかし、“立派だった”ことはわかるものの、実状は、立派というにはほど遠いものになっています。
地鉄の線路の向こう側には、北陸本線の複線が見えます。地鉄とJRが並ぶ光景はよく見られますが、高架上ではっきり見えるのはこの電鉄魚津だけです。ちなみに、JRの電車からもこの電鉄魚津駅のホームは見えますが、ホームだけなら「古びているな」で終わってしまうことでしょう。なお、JR側には、電鉄魚津に対応する駅は設けられていないため、乗換駅は隣接する新魚津(JRでは魚津)となります。
ところが、改札を一歩出ると、異次元空間に迷い込んだような錯覚に陥ります。ホームおよび改札はビルの3階にあるのですが、この階には、ほかに何もありません。どちらへ進めば地上に出られるのかという案内さえありません。
改札を出て右手には、隠すように古い椅子が置かれていますが、その先は行き止まり。壁面が何やら不自然に塗り込められており、かつては階段か何かがあったと推測されます。この上のフロアはもはや用済みということなのでしょうか。
そういうしだいで、改札を出た乗客は、左手にある階段を下りていくことになります。その階段へ向かうコンコースには出札窓口がありますが、古い発車時刻表を裏返しにし、その上に時刻表などをプリントアウトしたペラ紙をテープで貼り付けているというありさま。経費節減もここまでくると、涙ぐましいとさえいえます。なお、窓口の直下にベンチが置いてあり、ここに座ると切符販売の邪魔になりそうですが、実際にはほとんどの窓口は窓口として機能していないため、これでも問題ありません。数少ない利用者へのサービスと見るべきでしょうか。
ちなみに、上掲写真奥左側で紫色に点灯しているのは便所の表示なのですが、近寄らないとわかりませんでした。ただし内部は相当な年代物というものが一目でわかるありさまなので、利用はお勧めしません(駅前広場にある公衆便所のほうがはるかに清潔でお勧め)。清涼飲料水の自動販売機が置いてあるところは明るくなるものの、照明の弱いところは暗いため、積極的に近寄ろうという気にはなりませんが。
【写真5】「本日閉店しました」と書かれたシャッターの下部には、埃が層をなして固まっておりました。《2005年3月17日撮影》
このコンコースからの出口はひとつしかないので、階段を下りていくことになります。
階段を下りて2階の踊り場にくるとシャッターが閉まっており、「本日閉店しました」との表記。すなわち、ここには店舗があることを示していると見るのが自然です。ところが【写真5】の写真は木曜日の午後4時すぎに撮影したものですし(その後日曜日にも再訪)、そんな時間帯にシャッターが降りているということは、“本日”はおろか、ずっと閉店しっぱなしなのでしょう。実際、シャッターの下部には埃が溜まっており、相当の期間にわたってシャッターが開けられていないことを物語っていました。
1階に出ると、上のとおりの案内板。立派な駅ビルを造ったはいいものの、地鉄自体の乗客減や旧市街地の地盤沈下にともない、テナントが入らなくなったのでしょう。駅ビルの表には「電鉄魚津ステーションデパート」と大書されていましたが、買い物や食事をしたくとも、1階に入っているタクシーの営業所(最初に下車したときには地鉄関連企業の事務所がありましたが、のちにこれも撤退しています)があるだけでは、どうしようもありません。また、上掲写真で、「電車のりば」の次に「・」(ナカグロ)が付されています。今では、3階には電車の乗り場と切符売り場しかありませんが、過去にはそれ以外にも何らかの形で使われていたことを推察させます。
なお、電鉄魚津駅ビルの宇奈月方にも階段があって、こちらにも「電鉄魚津駅 電車のりば」の案内表示がありましたが、こちらの階段(屋外の非常階段ですが…)を登ってもビルへ入る扉が施錠されており入ることができず、看板に偽りありという状態になっています。かつては別の通路が確保されていたのでしょうが、列車の乗り場以外に用途がない現状では、階段もひとつで十分です(防災上の問題は別として)。
こんな状況では活気もなにもありません。また、ビル全体が薄汚れているという印象も否定できません。改札コンコースから地上への眺めは悪くないのですが、あちこちに埃がたまりシミがわき出しているため、とても長居したくなる空間にはなっていません。しかも前述のとおり電車の乗り場は3階にあり、バリアフリーなどという概念のない時代の建物ゆえ階段をがんばって上り下りせねばならず、にもかかわらず次の列車は何十分待ちという可能性があることを考えれば、列車のダイヤを把握していないかぎりコンコースまで上がる気にはとうていなれません。
栄枯盛衰というよりは、かつての意気込みを伝えながら寂しく朽ち果てていき、しかし最低限の必要性のために消去できない、そんな立派すぎるオブジェと化しています。特に、駅ビル正面の「電鉄魚津ステーションデパート」の文字は、「電鉄魚津駅」よりもはるかに見やすく目立っているのは、かつての栄華を取り戻そうという意欲を失っていないことの表れと言えなくもないのでしょうが、一介の旅行者にとっては、まことに悲しく見えました。
今でこそ半死状態になりはてつつあるこの駅舎も、総工費約8,200万円を費やし、1967年9月15日に完成した当時は魚津市内で最も高いビルとして注目を浴び、1階と2階がデパート、3階が駅、4階がバス乗務員の宿泊所として利用されたといいます[1]。のちの中滑川や上市におけるステーションビルのパイオニア的な役割も担っていましたが、今となっては魚津における高度成長時代の置き土産となっている、といえましょうか。
駅前は駐車場になっているほか、新宿商店街や中央通り商店街といった古くからの商店街が形成され、県の合同庁舎なども近く、比較的便利なところです。しかし、私が下車したときには人通りもまばらで、シャッターが降りたままの店舗が多く、賑やかなのは駅直近にあるパチンコ店のみというありさまで、郊外の幹線道路沿いに立地した大型商業施設への転移が著しいようでした。
停車列車 [2008年9月現在]
特急を含むすべての列車が停車します。
駅名の由来
官設鉄道の魚津駅(現在の新魚津駅)が市街地から大きく離れたところに設けられたため、これとは別の、富山電気鉄道が設置した駅であることをアピールする目的で「電鉄」が付されたものです。地鉄の他の駅と同様、富山地方鉄道成立後も「電鉄」の接頭辞は変わっていません。
歴史
早月(現・越中中村)から1936年6月5日、この電鉄魚津までの区間が延長開業されました。ただし終着駅だった期間はごく短く、早くも8月21日には魚津(現・新魚津)まで延伸されています。1960年代後半には国鉄北陸線とともに高架化され、併設する電鉄魚津ステーションデパートの営業が始まりましたが、店舗は1990年代後半までにすべて撤退し、現在にいたっています。
- 【1936年6月5日】 富山電気鉄道が早月(現・越中中村)-電鉄魚津を開通させた際に開業しました。
- 【1936年8月21日】 電鉄魚津-魚津(現・新魚津)が開通、中間駅となります。
- 【1943年1月1日】 富山地方鉄道の成立に伴い、同社の駅となります。
- 【1967年9月15日】 高架駅完成。
- 【1990年代後半】 電鉄魚津ステーションデパートより全テナント撤退。
周辺の見どころ
魚津埋没林【未訪】
コメント準備中。
- 富山地方鉄道『富山地方鉄道五十年史』536-537ページ。なお、巻末年表では9月1日竣工という記述があります。